人生をかけて築きあげてきたことが、どんどん消えていく・・・映画「アリスのままで」
映画「アリスのままで」
こんにちは。「kokoroとkaradaを幸せに」かなです。
自分の頭の中にある様々な記憶が、こぼれ落ちるように無くなってしまったら・・・。
そんな風に考えただけで恐ろしいです。
大好きな家族のことも、友達のことも、今までの人生の全てが分からなくなってしまう事など、想像もしたくありません。
そんな恐ろしい未来を用意されてしまったアリスがこの映画の主人公です。
若年性アルツハイマーという病気を患い、しかも遺伝性のため、娘にも遺伝してしまっていることが分かるのです。
この状況で、私だったら残りの人生をどのように過ごすのだろう?
または、家族が若年性アルツハイマーを患ってしまったら、どうするのだろう?
そんな事を考えながらこの映画を観ました。
あらすじ
50歳の言語学者アリス(ジュリアン・ムーア)は、大学での講義中に言葉が思い出せなくなったり、ジョギング中に家に戻るルートがわからなくなるなどの異変に戸惑う。
やがて若年性アルツハイマー病と診断された彼女は、家族からサポートを受けるも徐々に記憶が薄れていく。
ある日、アリスはパソコンに保存されていたビデオメッセージを発見し……。
人生をかけて築きあげてきたことが、どんどん消えていく・・・
「私が私でいられる最後の夏」そう言ったアリスを見て、涙が出ました。
肉体が死んでしまうのではないのです。
生きてきた証となる記憶が無くなってしまうのです。
これはもう、自分ではなくなってしまうということなのでしょうか?
映画の中でも「癌だったらよかった。恥ずかしくないから。」とアリスが言う場面があります。
記憶が滅びるとき、肉体もいっしょに滅びてしまった方が幸せなのでしょうか?
恥ずかしくないのでしょうか?
答えの出ない疑問がムクムクと湧いてきます。
母親であれば、自分の子供も誰だかわからなくなってしまう悲しさは言葉にもならないことは理解できます。
死んでしまえば、成長を見届けることもできませんが、記憶がなくなって誰だかわからなくなってしまう事実はもっと残酷です。
アリスは、アルツハイマーの症状が酷くなってしまったときの状態のために、先を見越して、自分にメッセジーを残します。
自分で命を絶つ用意をしていたのです。
私が同じ立場だったらどうするだろう?
自ら死を選ぶことは、絶対にしたくないと思う反面、もう自分が誰なのかわからない自分が、この世にいる価値は何だろうかとも思います。
完全に理解できないわけではない・・・。
そんな選択肢もあるのかもしれない。
それでも生きる意味
記憶は失ってしまっている。
家族も友達も自分さえも誰だかわからない。
でも、アリスはアリスなのです。
そこに心が存在していて愛があるから。
全てを受け止めて未来に向かう。
記憶があってもなくても同じこと。
今を精一杯生きることは、自然と未来へと繋がってきます。
いつでも、今この時間を大切に大切に生きていくことが、未来に繋がるのです。
誰かと寄り添って生きていくのです。
だから、記憶がなくなっても「アリスのままで」なのです。
最後までお付き合いありがとうございます。