本『人魚の眠る家』子供の死との向き合い方
子どもの死について、考えたくないけど考えさせられる本
こんにちは。「kokoroとkaradaを幸せに」かなです。
子どもの死なんて、親だったら絶対に考えたくない事ですよね。
子どもの成長はとても楽しみな事ですが、この世界から子どもがいなくなってしまうなんて、想像もできません。
しかし、今回読んだ本は、突然訪れた子どもの死をどう受け入れるのか、非常に考えさせられる1冊でした。
「どうかしている」と感じる母親に関しても、当事者だったら同じ事をしたかもしれないと私は思います。
狂ってでも子供を守ることができるのが、母親なのだという言葉に、言葉では言い表せないほどの子どもへの愛情が伝わってきます。
心がぐっと締め付けられ、もしも自分だったらと思うと、心が張り裂けそうな想いでした。
脳死を人間の死とするか?
子どもの臓器移植の現実。
子どもの死は受け入れられないけど、逆に臓器移植を待つ親の立場だったらどうだろう?
複雑過ぎて、考える事を辞めてしまい。
自分より大切な我が子。
改めて、子どもの存在が愛おしくなります。
本『人魚の眠る家』 東野圭吾
内容紹介
答えてください。
娘を殺したのは私でしょうか。
娘の小学校受験が終わったら離婚する。
そう約束した仮面夫婦の二人。
彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前。
娘がプールで溺れたー。
病院に駆けつけた二人を待っていたのは残酷な現実。
そして医師からは、思いもよらない選択を迫られる。過酷な運命に苦悩する母親。その愛と狂気は成就するのか。
愛する人を持つすべての人へ。感涙の東野ミステリ。
命を落としてしまう子が娘と同い年で、こんなに可愛い年頃なのに、機械に頼る必要があってもまだ呼吸をしているのに、死んでるなんて到底受入れられません。
第3者から見れば、悲しみの気持ちは理解できても、冷静な対応ができるんだと思います。
でも、自分の娘。
脳死判定をして、臓器を提供することで、助かる命があるのならば、臓器の提供をするべきなのは頭ではよくわかっていても、それはやっぱり難しい。
しかも、さっきまで元気に遊んでいたのにと思うと、そんなもの到底受け入れることができません。
この本を読みながら、時々このように止まって考えることがありました。
そして、その都度涙が出ます。
通勤中の電車の中でも泣いてしまいそうになりました。
辛いけど・・・。
準備をするわけではないけど・・・。
一度、こういう状況に触れることができたのは良かったと考えています。
臓器提供の意思表示
子どもの臓器移植が進まない一因に、親に判断を委ねられることにあるとありました。
難しい問題です。
なかなか脳死を受け入れられないのです。
でも、臓器移植をしないと助からない命があることも現実。
せめて、自分はそのような状況になった時に、家族が困らないよう、臓器移植の意思表示をしっかり示しておこうと思います。
きっと、家族は私の意思を尊重してくれるでしょう。
子供にもきちんと話すべき事項です。
4月から中学生になる息子には充分理解できるでしょう。
医者になりたいと話す息子。
命との向き合い方を話し合いたいです。
最後までお付き合いありがとうございます。